冗談は顔だけのつもりだ

そうさ100%現実

【映画】ありのままで生きることの苦しさと難しさ 『チョコレートドーナツ』

もう4年ほど前の話になる。

その当時一緒に働いていた女性で、誰よりもアダルトビデオの知識に長けていた方がいた。作品についてはもちろんだが、とにかくAV女優が大好きで、トークライブがあると度々足を運んでいた。

そんな彼女が、あるときやや興奮気味に出勤してきた。理由を訊くと、昨晩行ったライブが非常に有意義だったのだと言う。なんでも、その日のライブは彼女が贔屓にしている女優を含む数名のAV女優が出演していて、作品にかける想いや苦労話、AV女優という職業について考えていることなどを話す、なかなかディープな内容だったそうだ。

オタク特有の得意分野だけ早口になっちゃうあの感じでひとしきり話して、彼女は最後にこう言った。

「みんなこの仕事に誇りを持っていることが伝わってきて、泣いちゃいました」

多分そのとき私は「へ~」ぐらいの反応しかしなかったと思う。細かい話の内容はほとんど覚えてないが、なぜかずっとこの言葉を忘れられないでいる。

AV女優をやっていると公言するのは、自分に置き換えて考えてみると生半可な決心では絶対にできない。それはなぜか。自分の周りの人々、そして自分自身がAV女優に『偏見』を持っているからだ。全うな仕事であると思っていない、だから言うことができないのだ。

しかし、ライブに出ていた彼女たちは違う。仕事に誇りを持っていると、公の場で言うことができる。素直に思った。なんてかっこいいんだろう、と。

本当の彼女たちの姿なんてひとつも知らない人間が、彼女たちの人格を勝手に考えそして冷ややかな目で見ることの方が非難されるべきなかも知れないと、その時の私は思った。

 

 

前置きが長くなったが、『チョコレートドーナツ』のざっくりストーリーを。

 

同性愛に対して差別と偏見が強く根付いていた1970年代のアメリカでの実話を元にした作品。シンガーを夢見ながらもドラァグクイーンとしてショウに出演し日給で生活しているルディ(アラン・カミング)と、正義を信じ、世界を変えようと思い弁護士になったポール(ギャレット・ディラハント)。ある晩二人は出会い、そして恋に落ちる。

ルディが暮らすアパートの隣には大音量で音楽をかけ続ける迷惑な住人がいる。そこには薬物依存症の母親と、ダウン症の子供マルコ(アイザック・レイヴァ)が住んでいた。騒音に悩まされていたルディはいよいよ隣の部屋に乗り込むのだが、そこに母親の姿は無く(前日の夜に男と出て行った)マルコ一人が取り残され、母親の帰りを待っていたのだった。

ルディは弁護士であるポールにマルコのことについて助言をもらおうと職場に行くが、焦ったポールは「施設に預けろ」「金がいるのか?」と言ってしまう。「恥を知れ」と言い捨て、ルディはその場を後にしマルコとともにアパートへ帰る。すると、マルコの部屋には見知らぬ大人が入ってきていて、なにやら探しているようだった。事情を訊くと、マルコの母親は薬物所持で逮捕されていた。マルコはお気に入りの人形(ブロンドの髪の毛の女の子の人形)とともに強制的に施設へ連れていかれてしまう。

翌日、ポールとルディは再会する。ポールは昨日のことを謝り、それからお互いが歩んできた道をそれぞれ打ち明けた。(多分ここで初めてルディが歌うんだが、これが超上手い。さすがトニー賞俳優。)その帰り道、夜の街を一人あるくマルコを見つける。自分の家に戻ろうと、施設を抜け出し彷徨い歩いていたのだ。それから、ポールとルディ、そしてマルコは一緒に暮らし始める。ポールとマルコの関係は『いとこ』であると偽って。

マルコは学校に通い始める。ポールはマルコの宿題を手伝い、ルディは朝食を作り、マルコが寝る前にハッピーエンドの話を聞かせて寝かしつける。まるで本物の家族のように、ポールとルディはマルコを大切に育てた。

3人で暮らし始めてから1年が経ったある日、ポールが同僚からパーティーに誘われる。「いとこと子供も連れてこいよ」そう言われ一度は断ったが、同僚の押しに負けルディとマルコも出席した。そこで、ポールとルディがゲイカップルであることを同僚に勘付かれてしまう。関係を偽っていたことが原因で、翌日、ポールは仕事を失いマルコはまたしても施設に連れていかれてしまう。

絶望に暮れていた二人だが、マルコを取り返すために法的手段をとり裁判に挑むことを決心する。しかし、ゲイカップルであることに対する偏見と差別が彼らの行く手を阻み、そしてマルコから引き離していく……

 

 

終わってから、「ちょっとまてまだ電気つくな明るくなるなやめてくれ今顔べちょべちょだからまだ明るくなるな」って心の中で唱え続けていた。エンドロールが流れても、涙が止まらない。むしろ時間が経つほどじわじわとこみあげてきて、結果的に頭痛を伴う大泣きをしてしまった。悲しかったのだろうか。悔しかったのだろうか。あのときの感情をうまく表現する言葉がまだ見つからない。

この映画で一番ズルいと思ったのは、ルディを演じるアラン・カミングの歌がうますぎること。心に響きすぎて「もうだめやめて息できない」ってなるくらい、彼が歌うことによって歌詞の重みが増したように思う。最後のシーンは覚悟した方がいい。ここまでたくさんの理不尽と不条理を見てきてからあの一曲を聴くと、もうたまらなく悔しくて切なくてどうしようもない無力感がのしかかってくる。

そして、彼が歌う場面の傍らには必ずポールがいるんだけど、見つめる表情がとてもいい。どっちかっていうとポールの方がぞっこんで惚れていて、それが良く伝わってくる。かわいいの暴力。

 

3人の幸せな様子を見たあとは、世の中ってこんなに理不尽なことあるかなって思うくらいにつらいことの連続。特にマルコを取り返すポールとルディに敵対する弁護士が本当に憎たらしい。弁護士も憎たらしいが、法律そのものが憎くなる。立派に育ったマルコという存在がありながら、その現実からは目を背けて「でもだってしかし」の繰り返しなのだ。てめえなんてどうせ粗〇ンだろ。傍聴席にいたら絶対野次飛ばしてた、あぶね。

ポールとルディの味方である、マルコの学校の先生や調査員?のおばさんが一生懸命に援護射撃をしてくれたおかげもあり、一瞬希望の光りが射す。しかし、やはり深く根付いた差別と偏見は簡単には拭えなかったのだ。

その後、2人は黒人の弁護士を雇ってもう一度粗チ〇弁護士に立ち向かう。詳しくは言わないが、この黒人弁護士がこの作品にとってかなり重要な人物になったと私は思う。黒人差別についてはあえてここで語る必要もないだろうが、同性愛者への差別よりもさらに残酷だったことは想像に難くない。そんな存在がポールとルディの最後の希望の光となる。

その後の展開は是非劇場でご覧ください。(回し者感)

 

 黒人弁護士がウイスキーを煽りながら言う言葉が、この作品の中で一番私の心の中に残った。

「正義などない。それでも戦うんだ」

ポールとルディは、これからも見えない敵と戦い続けるのだろう。

 

世界を変えたいと思ったポールと、自分の声で歌う夢を抱くルディと、ハッピーエンドが大好きなマルコ。この設定が後からボディーブローのように効いてくる。タオルを忘れて映画館に行ってしまったら、途中で買ってでも持って行った方がいい。

 

 

ありのままの姿見せるのよ~……てな具合の歌が大流行だが(私は本家の映画を見てない)、いろんな個性を持った人間がありのままで生きていられることがある程度許される今があるのは、差別や偏見の目を恐れず誇りを持って生きる人や、自分たちの幸せを犠牲にしてでも正義を探して戦った人たちがいたからだということも絶対に忘れてはならない。なんならアラン・カミングに歌ってほしいもんだ。