冗談は顔だけのつもりだ

そうさ100%現実

【アイドル】1年半ぶりに見た私のアイドルについて〜「A.B.C-Z 2018 Love Battle Tour」横浜アリーナ公演にいってきました〜

 

  気がついたら2018年は一度もA.B.C-Zの現場に行っていなかった。(行ったのは「コインロッカー・ベイビーズ」1公演だけだった)

 5周年のお祭りを駆け抜けた達成感が大きかったのと、「ABC座」がジャニーズ伝説だったことが決定打となり、去年はA.B.C-Zからだいぶ気持ちが離れていた。そもそもジャニーズ事務所という組織やジャニーさんの演出に魅力を感じたことがない私は、ジャニーズの歴史を紐解いていく物語に興味がなく、A.B.C-Zが出ているとはいえ、すでに2回見ているものを3回見る気にはなれなかった。コンサートに行かなくても平気になってしまった時にこれだったので、えび座は申し込みすらしなかった。でも彼らを嫌いになりたくはなかったので、距離を置いて茶の間で5人を見ることにした。だけど、いつの間にかCDを買わなくなり、音楽番組や「少クラ」「ABChanZOO」すら見なくなってしまった。

 そんな状態と並行して、他に好きなことが見つかって夢中になり、Twitterのアカウントも引っ越し、心機一転超楽しい毎日を送っているので、特にA.B.C-Zが必要ない状態まできてしまった。そこでちょうどよく「LBT」の追加公演が決まり、会場が5周年のコンサートでも行った横浜アリーナだと聞いて、ひさしぶりにA.B.C-Zが見たくなった。去年のコンサートに行かなかったのは、私がずっと「A.B.C-Zには大きなステージに立ってほしい」と思っていることもあって、ホールコンサートをしている姿を見たくなかったんだと、密かな抵抗をしていたのだと、その時気がついた。私はアイドルに距離的な“親近感”など求めていないので、メンバーが豆粒になってもいいから大きな会場で踊り狂ってほしいし、ド派手な特攻で客席のオタクをビビらせてほしいのだ。A.B.C-Zにもずっとそれを願っている。

 

 A.B.C-Zに対して鬱屈した気持ちを抱えながら1年を過ごし、2019年一発目の現場として横浜アリーナに行った私は、結果としてめちゃくちゃ楽しかったし、またA.B.C-Zのコンサートに行きたいと思った。思えてよかった、とホッとした気持ちにもなった。私はまだ5人のことが大好きだし、五関さんのダンスにやられっぱなしだった。(うちわが売り切れて買えなかったことが本当に心残りだ)

 でも、なんとなくモヤモヤを感じる“粗”が見えてしまったことも確かだった。A.B.C-Zに心酔していたころは、なにか思うところがあっても「好き」の気持ちが上書きしてくれたけど、今回はそれがなかなかできなかった。「生歌にするならちゃんとボイトレしてほしいな」とか「もっと踊ってほしかったな」とか「でっかい装置を使ってるところが見たかったな」とか、彼らに対する“要求”のようなものがいくつか残ってしまって、そんな自分がすごく嫌だった。でももっと嫌だったのは、コンサートが終わって家に帰り、寝る前に携帯のデータフォルダを埋め尽くしている今の推しの写真を見て気持ちを落ち着かせていた自分。なんかもう悲しかった。「五関さんごめんなさい」と思いながらも、大好きな顔が無数に並んでいる画面を見て安心している自分に引いた。だけどそれが今の自分の正直な気持ちだということを、痛いほど理解した瞬間だった。

 

 もう一度言うが、A.B.C-Zのコンサートは本当に楽しかった。はしちゃんのかわいさに骨抜きにされたし、戸塚さんはやっぱり顔がいいし、河合ちゃんのおしゃべりはいつだっておもしろいし、五関さんは色気で人を殺せるんじゃないかと思ったし、塚ちゃんのキラキラオーラに魅了された。今年もコンサートツアーがあるなら行きたいな、と今は思っている。新曲もかっこよかったから、次は多分CDを買うと思う。濱口さんがプロデュースしてくれるドラマも気になる。だけどもう、彼らに熱中していた時の自分は戻ってこないかもしれないな、ということを薄っすらと感じてもいる。

 多分私は、今の推しとA.B.C-Zの現場が被ったら推しを優先してしまうし、CDリリースのタイミングで推しに関する出費があったらA.B.C-Zにお金を出すことを渋ってしまうし、同じ時間にドラマが放送されたら推しのドラマをリアルタイムで見てしまう。これはもう、「絶対」と言ってもいいかもしれない。A.B.C-Zの優先順位が完全に入れ替わってしまったことは認めざるを得ない。

 

 なにか結論が出た、もしくは出したくてこの文章を書いているわけではないので、1年半ぶりにA.B.C-Zを見たことで、自分の気持ちがどうなったかはわからない。だけど絶対に「文句を言うオタク」にはなりたくないので、それだけは自分と約束した。そんなクソダサイことをするならオタクとして死んだ方がマシ。もし万が一、A.B.C-Zへの気持ちが完全に途切れる時が来るのなら、私はなにも言わずに消える。

  ……と言いつつ、「現場」といえば「舞台」な今の推しだけでは「キャーーーーー!!!!!」とか「フゥーーーーー!!!!!」とか叫ぶ機会がまっっっっったくないので、コンサートには行かないと死ぬなと思った。だから私はまたA.B.C-Zのコンサートに行くと思う。暗いことばっか書いたけど、彼らが歌い踊る空間に行くと、無条件に元気になるのは間違いない。(舞台ばっかりだと、物語の解釈やらで煮詰まってしまうことがよくわかったので、頭を空っぽにして楽しめる時間は今の私にとってすごく貴重だ)

 なんというか、アイドルと自分の関係として、もしかしたら今が1番いい距離感かもしれないとも思っている。他に熱中することがあっても、見ているだけで気持ちを高めてくれるアイドルは、自分にとって不可欠な存在だと気がついた。それに気がつかせてくれたA.B.C-Zのことを好きでよかったと思った横浜アリーナだった。

 

【テレビ】春田創一は「あっち側」に行ったのか

※この記事はわたくしが過去に「note」へ投稿した記事ざんす。「note」のアカウント消しちゃうにあたり、もったいないのでこっちに移動させたっていうことなんでよろしくお願いします。

 

 

>2018/06/03 15:26投稿

 

 「おっさんずラブ」最終回の前、私が愛してやまない作家・三浦しをん先生の新刊が出たんですよ。いきなりですけど宣伝いいですか。

www.kadokawa.co.jp

横浜で、ミッション系のお嬢様学校に通う、野々原茜(のの)と牧田はな。
庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌なののと、
外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手のはな。
二人はなぜか気が合い、かけがえのない親友同士となる。
しかし、ののには秘密があった。いつしかはなに抱いた、友情以上の気持ち。
それを強烈に自覚し、ののは玉砕覚悟ではなに告白する。
不器用にはじまった、密やかな恋。
けれどある裏切りによって、少女たちの楽園は、音を立てて崩れはじめ……。

 

 察しのいい人ならわかると思うんですけど、女性同士の恋愛の話です。いや、恋愛という言葉には当てはまらない、もっと深くて曖昧で強固な関係性で結ばれた、「人と人の人生を描いた物語」と言った方がいいかもしれない。

 こっから本のネタバレ入るんで気をつけてちょうだいな。

 「のの」と「はな」は学生時代に大恋愛をして心身ともに結ばれ、そしてある事情で別れます。ここまですべて10代の話なんだけど、それからこの物語は約30年間続きます。30年の間、2人は手紙・メールのやりとりで関係をつないでいくんだけど(なんとこの小説、全部2人の手紙・メールの文章だけで構成されてます。スゴい)、その間に「のの」は別の女性と付き合い、「はな」は男性と結婚します。

 要するに、「のの」は女性を愛する女性で、「はな」はそうではない。だけど、確かに2人は愛し合っていて、別れてからの30年も、ずっとお互いの心の中には「のの」「はな」がいる。新しいパートナーができても、理想の旦那と生活を送っていても、1番心が躍り、そしてかき乱されるのは、「のの」「はな」から手紙・メールが来た時。たいしたことない(たいしたことある時もあるけど)近況を知ったり、相手が今も自分のことを思っていると確認できた時だけなんですよね。

 恋人になった時におそろいで買った指輪を、30年経ってもずっと身につけてるし。これってなに? 一体どんな関係なの? と考えて、2人の関係を言葉で定義することのバカバカしさに気がついたんですよね。「恋人」「友達」「親友」「家族」とか、一体誰がどうやって決めるんだろう?

 

 牧凌太は「ゲイ」で男性が好きな男性。そんで、春田創一はそうではない。でも、春田は牧という“人間”を知って彼に恋をし、そして結ばれたいと願った。じゃあ春田が「あっち側」の人間になったのかというと、絶対にそうじゃないと思うんですよね。ていうか、「あっち側」ってなに? あっち・そっちなんて、本当にあるの?

 私がこのドラマで1番よかったな、ってか、好きだなって思ったのは、春田がずっとまっすぐに“人と人”の付き合いをしてたことなんですよね。部長に告白された時も、「上司として尊敬しているけど、それは恋愛感情じゃない」から断っていて、決して「男だから」部長を受け入れなかったわけではない。でも、だからこそ部長は自分にも可能性があると感じて、なかなか諦められなかったんだけど。これもまた、人と人との付き合いだからこそ生まれるもどかしさ・不安定さで、これが作中でものすごくうまく作用していたんですよね。毎週「一体この先どうなってしまうんだ……」と唸り続けていた日々が、今となっては懐かしい。

 春田のそういう“なんでも受け入れてしまう”危なっかしさに、何度も「コノヤローーーーー!!!!!!!!!!」と叫んだけど、それは彼が相手を性別や年齢、さらには付き合いの長さですらふるいにかけることなく、「今、自分はこの人をどう思っているのか」と必死で向き合っていたからで。そんな中で、あんなに何人にも告白されたら、そりゃあ困っちゃうよ。だってみんなのことが好きなんだもん、人として。その中で、「牧とずっと一緒にいたい」気持ちが恋愛感情だと気づいた。ここまでに7話分(てか、最後15分になるまで)かかった春田さん、本当にウソがないまっすぐな人だよねえ。

 

 牧と春田は、ののとはなと違って「結婚」という形を得たから、関係性を定義することはできる。でも、春田の性的指向を定義するのは、なんか違うなと。いや、そんな必要あんのか? って。

 だって、春田は「男だから」牧を選んだわけじゃなくて、「牧だから」牧を選んだんだもん。道路の向こうにいる牧のもとに駆け寄ったのも、牧がそこにいたからで、春田は牧のところに行っただけ。牧にとってはあの道路が海よりも深い大きな大きな溝に見えていたかもしれないけど、春田には横断歩道さえあれば簡単に渡れるただの道だった。春田にとっては“性別”なんて、その程度のちっぽけなものだったんだと、私はそう思いたいのです。

 どこまでもフラットに、まっすぐに相手を見つめ、誰かが決めた定義に縛られることなく、自分に正直に生きていいんだということを、私はののとはな、そして牧と春田から、奇しくも同時期に教えてもらったのでした。

 

 あ、もしこれから、牧と春田がケンカすることでもあったら、春田には「もういい、ロリ巨乳がいる合コン行ってくる」って言ってほしいし、牧には“必殺”「……武川さんのところに行こうと思って」を繰り出してほしい。それでも必ず、2人があの家に帰ってくると信じているから。

【ひとりごと】過去を追いかけない方のオタク

※この記事はわたくしが過去に「note」へ投稿した記事ざんす。「note」のアカウント消しちゃうにあたり、もったいないのでこっちに移動させたっていうことなんでよろしくお願いします。

 

 

>2017/02/26 19:10投稿

 

 SMAPA.B.C-Zという、長い歴史があるグループのオタクのくせに、全然過去に興味がない。特にビジュアルに関しては、今が1番を更新してる(特にA.B.C-Z)から、昔を見てもあんまうれしくない。

 あと単純に、自分にショタ属性がないから、チビジュだった頃とか、まあかわいいとは思えど、やっぱり現状が恋しくなるだけということはよくある。

 過去を知ってこそ今があるっていう考えの方が一般的だと思うし、昔のことを知りたい人の方が圧倒的に多いんだと思う。ジャニオタ、というか女オタって特に人やグループのストーリー性にハマることが多いと思うから、それが普通なのはよくわかる。

 (余談だけど、女オタは「成り立ち」が好きで、男オタは「その先」が好きだな〜と思ってる。だからジャニーズは永遠に続くことが前提だし、女の子アイドルは刹那的に作られることが多い。もちろんいろんな要素があってそうなってるワケだけども)

 SMAPはもう茶の間からガチ勢までオタク層が幅広いから、どんな人がいてもいいと思えるんだけど、A.B.C-Zに関しては、過去を掘り下げないことに対しての罪悪感みたいなものが、若干ある。

 自分たちから昔の話をよくする人たちだし、今に至るまでに途方もない紆余曲折があった人たちなのは重々承知してるつもりだけど、でも、興味ないもんは興味ない。

 過去を知ってももう追いつかねーな、みたいな諦めもある。例えば私はえびキス時代を映像で見たことはあれど、それ以上は一切知らない。はしちゃんが加入した時の心境とか、デビューがどんなにうれしいことだったのかも知らない。もうこればっかりは、情報だけは得られても、その時自分が、みんながどういう気持ちになったのか知るすべがない。いくら「この曲には思い入れがあって〜」とか言われても、リアルタイムで感じられなかった私にとっては、たくさんある楽曲の中の1曲でしかない。

 正直悔しい気持ちはある。こんだけ好きになるなら、せめて名前だけでももっと早く知ってりゃよかったと思うし、知ってたら彼らの見方が変わってたかもしれないとも思う。もちろん、Jr.時代から応援していたファンの方々がいたからこそ、今私がA.B.C-Zを知れたから、ファンの方々には頭が上がらない。だけどさ〜、やっぱり興味ないもんは興味ない!(2回目)

 とはいえ、この罪悪感みたいなものにどう折り合いをつけたらいいか、たまに考えちゃうんだよね〜。答えは出ないのだが。

 でも、過去に興味がないってことは、今に十分満足してるってこととニアイコールであると思う。常に過去を更新してくれてるってことでもあるはず。SMAPのコンサートは「Mr.S」が1番よかったし、A.B.C-Zのコンサートは「SLT」が1番よかった。そして今年はそれを上回るはず。てか、そうじゃなきゃいけないでしょって話だけど。

 彼らの歴史に足を踏み入れた瞬間が自分と彼らとのスタートでしかないし、それでもいいと思うしかないのかなあ。難しいね、私にとっては難しいのよ。

 これから好きになる人が私みたいに思い悩まないようにしたい。どうしたらいいのかはよくわかんないけど、とにかく「今が最高潮だから安心しな!」と言いたい。別にこの界隈が新規に厳しいとかそういう話じゃなくて、物理的に埋まらない時間が長すぎるから、ついこんな話をしたくなるワケよ。

 過去に興味がなくたって、無理に知ろうとしなくていいし、今を応援していいと思いたい。あと、そんなオタクを許してほしいし、許したい。

【ひとりごと】永久新規なのに「 #田中圭24時間テレビ 」で泣いた理由と、やっぱり“職人”はかっこいいと思った週末

 いきなり今私が1番言いたいことをお伝えすると、「第3回 輝け!AbemaTV AWARDS 2018」っていうのがやってて「田中圭24時間テレビ」が主演賞にノミネートされてるので、見た人はぜひ投票しに行こうね。12月30日まで毎日1票投票できるんだって、すげえな。

abema-award2018.tv

 

 ということで、こっからは余談です。

 

 24時間テレビ終わっちゃいましたなあ。土曜日の夕方に起きてそっから寝ずにぶっ通しで見て、終わった瞬間寝たけど翌日なんか時差ボケみたいな状態になって、会社でヘロヘロだったけどようやく元に戻ってきた。国内にいても時差ボケになるということを学んだ。

 24時間50分ずっと好きな俳優の動く姿が見られるとかいうご褒美企画にはもう感謝しかないし、24時間50分嘘偽りなくずっと楽しかった。24時間50分カメラの前にい続けた田中さんはもちろん、ゲストのみなさんもスタッフさんも本当にお疲れ様でしただし、24時間50分ずっと見てたオタクと私は肩を組んで労いあいたい気持ちだよ。

 まあここだけの話、いろいろ思うところがないわけではないんだけど、終わったことになにを言ってもしょうがないし、きっともう一生やらないだろうし(や、やらなくていいからね?)、オタクの立場で言えることはなにもないので、ここでは内容について元気よく割愛していくぞ。

 

 ……と思ったけど、流れるように本番の撮影が始まって完璧な掛け合いが成立した六角精児さんとのシーンと、

abema.tv

即興とは思えない吉田羊さんの的確な言葉選びがすごすぎて感動し、金で心が揺らぐ田中さんの表情がおもしろすぎる&「これが嘘のないお芝居か」と唸ったシーンがお気に入りなので見てね。(脚本に思うところがあったのかいろいろぶっこんでくる吉田さんと、それをあえて避ける選択をした田中さん、どちらもすばらしかったというのも補足で)

abema.tv

 

 んで、私がここで書き留めておきたいことは、「ぶっちゃけ大した思い入れがない他人のことで私はなんで泣いたんだろう」という疑問に対して自問自答した結果です。

 「大した思い入れがない他人」とかいうと怒られそうな気がするけど、期間で言えば今年の春からしか知らないわけで、もっと昔から応援されているファンの方とか、それこそ大親友の鈴之助さんが泣くならさ、これまでいろんな姿を見てきただろうから感極まるのもわかるよ。でもさ、最近オタクになった私が流した涙の意味はなんなんだろう、という。「あのころは考えられなかった活躍が見られてうれしい」わけでもなく、「ずっと応援してきてよかった」と喜んでいるわけでもなく。でも、放送が終わって台所の換気扇の下でヤニ補給してる時に涙が止まらなかったんだよな。わけがわからなかった。あの時の自分の感情はなんなんだろう、と考えようと思ったけど、終わった直後は頭が回らなくて寝た。

 で、翌日人と飯を食ってたとき、「なんかこれが理由っぽい」と思ったことがあって。すごいざっくり言うと、「私たちは損な性格だよね」っていう話をしてたんですよ。私とその人は自分で自分の頑張りを人に言うのがすごく苦手で、だけど結局、「自分、めっちゃ頑張りました! 見て見て! 褒めて褒めて!」って声を出した人の方が、たとえ同じ仕事をしてたとしても、自分より仕事をしてなかったとしても評価されるよね、みたいな。なんとも暗い話をしてたんですよ。

 その話をして思い出したのが、自分が専門学生だったときのことなんですけど。自分、服の学校行ってたんですけど、文化祭のショーの衣装作る係をやったんですよ2年間。5〜6人で1着作るって感じだったけど、これ結構大変なのよ。みんな大変だったけど、モデルが1番大変で、その次ぐらいに大変な係だったんじゃないかと思ってる。で、2年生の時衣装係で一緒になった子が、私と正反対の「頑張った! 見て見て! 褒めて褒めて!」ができる子だったんですよ。彼女を仮に「A子ちゃん」としましょう。確かにクラスの中では裁縫がうまくて、クラスメイトからも頼りにされるようなしっかりした子で、普通に話す分にはなんの引っかかりもなく仲良くできたんだけど、しかしやっぱり、同じ係で働くとなると、「同じことやっててもこの子の方が得してるな」と思うことは多々あって。

 そんなちょっと悶々としてる中、私が結構めんどくさいミスをしちゃたんですよ。もちろん締め切りというか納期がある仕事なんですぐ直さなければならない。当然私が責任を持って修正いたしますということで、副担任の先生と2人でやるからごめんね〜つって教室でちまちま直してたんですよ。この先生とは1年生のときも一緒で、さらに私はクソ舐めてる生徒だったんで下の名前で呼び捨てにするぐらいの仲だったんだが(笑)、まあこの先生が「あんたはいつもちゃんとやってるから、こういうときに助けてあげたくなるよ」みたいなことを言ってくれて。さらに、今考えたらオイオイ案件なんだけど、「それに比べてA子は口ばっかりで全然やらねーわ」みたいな愚痴を言い始めて。……なんなのこの先生やばいな?

 今まで自分はA子ちゃんより目立たない(目立ちに行かない)分、圧倒的に人から評価されない立場にいると感じていたけど、副担任の先生は自分みたいな人間のこともちゃんと見ていてくれてたんですよね。なんかそのとき、「あ〜、このままでもいいのかな」と思ったんだよね。無理して口に出さなくても、誰かがちゃんと見ていてくれて正当に評価してくれるし、マジでヤバイ時は手を貸してくれるもんなんだなとうれしくて。

 で、多分私が「田中圭24時間テレビ」を見て泣いてた理由はどうもこれだったっぽいんだよな。ただ単純に、頑張ってる人をたくさんの人が支えて、地道に積み上げてきたことが要所要所でサラリと発揮されて、それが正当に評価された場面に立ち会えて、心からうれしかったんだと思う。うれし泣きだったっぽい。

 自覚はないけど、多分ずっと心のどこかで悩んでたんでたんだろうな。もっと自分で自分をアピールしていくべきなのか? でもそれって超カッコ悪くないか? だけどいつまでも損するのはつらくないか? そんなことを知らない間に自問自答して生きてたんだと思う。だから、その答えのようなものを見て、ホッとしたんじゃないかなあ私さんは。頑張りとか実力とかって絶対誰かが見てるから別に自分で言わなくたっていい、損してるわけじゃないよという答え。

 

 自分は昔からこういう“職人気質”な人にすごく憧れがあって、むしろ「見て見て! 褒めて褒めて!」することをダサいと思っちゃうんだよね。だからどんなにそっちの方が得だとしても、自分は絶対やらないっすね、という気持ちはやっぱりずっと持っている。で、24時間50分田中さんを見てて、この人の仕事との向き合い方は完全に職人だなと思ったんですよ。なんか昔、某アイドルのことを褒めるつもりで職人って言ったらファンの人が怒ってたんだけど、いまだに理由がわからん。職人のように仕事する人って、超絶かっこいいじゃんねって私は思うんだけど。超絶かっこいいですよ。

 「自分が楽しいから俳優やってる」とか「誰かのためにやってるわけじゃねーぞ」とか「人の評価とか別に気にしてないよ」的な発言がよくあるけど、これもめちゃめちゃ職人っぽくて痺れるんですよね私的には。中でも「自分より役とか作品が評価されてほしい」ってのは、まさに職人が言う言葉でしょ、という。粛々と堅実な仕事をして、自分が納得する結果を積み重ねていけば、必ず誰かがスポットを当ててくれるんだなと。たとえ今は損してるような気がしても、自分を信じてその生き方でいけばいいんだなと。専門学校の副担任以来、改めてそれを確認できました。

 今までずっと「顔がいい」しか言ってなかったけど(もちろん今も顔面を1番信頼しているのだが)、24時間50分を終えて新たな魅力を見つけちゃった感があって、正直、ちょっと困っている。

 

  しかしやっぱり職人気質な人は損だなと思ったこともひとつあって、例えばこの企画を「頑張った! 褒めて!」と主張する人がやったとしたら、終わった後に「あ〜! 疲れた! しんどかった!」とか大騒ぎすると思うんですよ。でも田中さんは終わった後もわりと飄々としてて、なんなら田中アナや鈴之助さんより涼しい表情をしてて、顔は疲れ切ってたけど「なんかまだ余裕っぽくない?」みたいなふうにさえ見えてしまう。これは完全に損してるんですよね。ウルトラすごいことやったのに全然そう見えないという、超人ゆえの損!

 今はかなり熱が下がっちまってるんですけど、私が好きなA.B.C-Zっていうグループもめちゃくちゃこれでして、コンサート中ずっとバキバキに踊ってるのに終盤でさらにバッキバッキに踊る曲を持ってきて、しかもそれを普通に踊りきっちゃうもんだから、「このヤバさ、誰にも伝わんねーよ!」みたいなことがあるわけ。要するに、「彼らにはこれくらいできて当たり前」みたいな見え方になっちゃうんだよね、どう考えても当たり前のことやってないのに。それができるのは、今まで努力と根性で確かに積み上げてきた実力がある人だけなのよ。24時間ぶっ通しでドラマを作ることも、コンサートでずっと踊ってることも、全然普通じゃないですからね!!!!! なんならかなり狂ってますからね!!!! そこんとこお間違えなきよう!!!!!

 

 私、格ゲーの試合を観戦するのも好きなんですけど、ちょうどほぼ同じ日程で世界大会がありまして、こっちもずっと見てたんですよ。田中さんと格ゲーの二刀流オタクとか多分この世に私しかいないと思うので、週末はこの地球上でただ1人、超絶多忙なオタクをしておりました。

 で、この大会で日本の選手が優勝いたしまして。ご興味ある方はぜひこの記事見て。

appvs.famitsu.com

 個人的には優勝した「ガチくん」選手も職人気質の方だと思ってるんですよ。他のプロも「ガチくんのやりこみはすごい」っていうぐらい黙々と練習をする人で、さらに言うと、ベスト8に入った選手の中で彼だけが使用キャラクターをず〜っと変えてないんですよ。

 格闘ゲームは定期的にキャラクターの強さが調整されるんですけど、その内容によっては、今まで使ってたキャラがめちゃくちゃ弱くなっちゃったりするんですよ。これはゲームに勝って賞金を稼ぐプロにとっては死活問題で、「このキャラが好き」とか「愛着がある」とか言ってられず、キャラを変えて勝ちを優先する選択肢を取らざるを得ない場合が結構ある。ガチくん選手が使っている「ラシード」ってキャラも実は思いっきり弱くされたタイミングがあって、ラシードを使って大会に出る人がガクッと減ったんですよね。でも、ガチくん選手はラシードを辞めず、むしろやりこむことで練度を上げて、そして今年1番大きいプロ大会で優勝したんですよ。もう、めちゃくちゃかっこよくない? この話始めるともう1本ブログ書けるわって感じなんだけど、まあ、今回は辞めておく。いつかする、多分。

 

 とにかく私は先週末、職人たちのかっこよさにしびれにしびれたっつうわけです。この人たちと次元はまったく違えど、職人気質ゆえ自分で自分をアピールしていけず、調子いいヤツにいいところを取られ、結構頑張ってやったのに「当たり前」だと見られ、モヤモヤを抱えている人って結構いると思うけど、多分大丈夫だよ。我々の頑張りは誰かが必ず見ていてくれるし、褒められなくても自分が納得できる成果が出れば、それはちゃんと力になってるよ。そうやって俺たちは、簡単には爪を見せない“能ある鷹”になっていこう。真面目で賢い人間を目指していこうな!!!!!

【テレビ】大して仲良くない知り合いから身の上話を聞かされ続けた3カ月「獣になれない私たち」最終話

 見ましたか? 「けもなれ」最終話。

www.ntv.co.jp

 中途半端に2・5話の感想を書いちゃったもんだから、最終話を書かないと締まりが悪くなっちゃったことを後悔してる。結論から言うとマジでなにも感想がない。もうすでに6話ぐらいからなにも感想がなくて、ほとんど虚無の状態でドラマを見てて、ぶっちゃけなにがどうなったか説明しろと言われてもできる自信がない。最後まで虚無だったもんで、今回はタイトルにタグをつけるのも憚られた。その辺は気を使える大人なんでね。

 なんというか、このドラマの感想についてはタイトルに書いた通りで、全然仲良くもない“知り合い”(このドラマでいう晶)から、「仕事が大変でさあ……」とか「彼氏が最悪でさあ……」とか興味もないのに一方的に聞かされて(まあ、こっちが一方的に見てるんだけど)、「じゃあ思い切ってやめちゃいなよ!」とか「え〜そんな彼氏別れちゃいなよ!」とか、知り合い程度だから別にそんなこと言ってやる義理もないけど場の空気を考えてとりあえず助言したのに、「でも、社長も本当は悪い人じゃないし、仕事が嫌いってわけじゃないの」とか「でも、彼にも事情があるし、私がはっきり言えないのも悪いの」とか返されるあの感じと同じ。「あっそ、じゃあ好きにしな」しか言うことないわ。

 

 

 このドラマで1番きつかったのは、主人公の晶にまったく関心を持てず、ゆえに彼女が関わる恋愛・仕事の行方にも興味がなかったことですね。最初は嫌いだなと思ったけど、後半はもう嫌悪すらなかった、興味がなさすぎて。

 晶って人に流されてるように見えてめちゃくちゃ頑固で、あの社長すらねじ伏せようとするし、恒星とは頑なに“友情”でいようとするし、人に振り回されてるように見えて、ずっと自分で自分の首を締めてるんですよね。まあ、それを描いて「獣になれない」生きづらさってことにしたんだろうけど。晶は“お人好し”ってことになってたけど、そのくせ悪いことは全部人のせいにしようとするんですよ。最終話でもセックスしたことを恒星のせいにしようとしてたじゃん。「あんたが迫ってこなければ私が悩むことはなかった」とでも言いたそうなあの感じ、信じられん。

 物語には必ずしも“共感”が必要とは思わないが、せめて“理解”ができないとダメなんだなと思った。私は最後まで晶のことが理解できなかったから、このドラマを楽しめなかったんだなあ。

 

 最初は花井にもイライラしてたけど、こっちももうなんの感情もなくなった……相変わらず顔がかわいかったなぐらいしか……また合コンしてんなとか……。まあ、最後にもう一回晶に好きって言えて、ちゃんとフラれたのはよかったかな。朱里ちゃんも社会復帰できたし、恒星さんはなんかずっと別のドラマやってたし(兄弟のエピソードだけは唯一よかった)、呉羽さんはずっとカッコよかったから、まあ、めでたしめでたしでしたね、はい。役者さんがみんな達者だっただけに、楽しめなかったことが残念で仕方がない。

 

 どうしよう、本当に感想がない。こんなに“無”になることもなかなかないぞ。はあ、早いことHDDの整理しようっと。

【テレビ】いい加減認めよう、我々は長門朱里に一番共感してしまうという事実を 「 #獣になれない私たち 」第5話

 見ましたか? 「けもなれ」5話。

www.ntv.co.jp

 

 もうね、“修行”だと思いながらリアルタイムで見てますよ。忠誠心強めのオタクなんでね。しかし、松田龍平さん・田中圭さんという私の2大推しの力をもってしても、本当に見続けるのがしんどい。なんならこのドラマの癒しが近藤公園さんになっている。公園さんは(今のところ)裏切らない。社長と佐久間さんがタメ口でしゃべってた、あのシーンだけが私の宝物。(虚ろな目)

 

 前回のエントリで第2話の感想を書いたんですが、とにかく私は花井京谷という男が無理なんですよ。

yesnomo3.hatenablog.com

 それと同時に、長門朱里という女が私に憑依してしまい、実はずっと彼女の幸せを願いながら見ている。彼女が彼女なりに幸せな結末を迎えないと、私の幸せも訪れないのだ。頼むぜ野木先生。

 そんな状態なわけだけど、第5話は朱里が憑依してしまった私にとって、死にたくなるほどツライ回でございました。もう一生見たくない。 

 

なにがいやかって、朱里から見て彼氏を取った女が、「仕事ができて、彼氏が頼りにしてる女」ってのが、コンプレックスメッタ刺しすぎて、本当に最悪なんですよ。朱里はなにか理由があって仕事がうまくいかなくて、精神的に参ってしまった。そんな朱里を花井は助けたんだけど、結局花井は仕事をしない朱里の愚痴を言い、仕事ができる女に惚れてしまったと

  2話の感想でこんなことを書いたんだけど、5話の開幕から朱里は晶にむかって、まさに自分のコンプレックスをぶつけたんですよ。

「仕事があって仕事ができて、好きな人に好きって言ってもらえて、お母さんにも気に入られて、なんでもあるじゃん? 私なんて、5年間ずーっとここで、こんなスウェット着て、派遣会社行っても「おまえに紹介する仕事はない」って言われて、京ちゃんにも……京ちゃんにも「おまえと晶は違う」って言われて……。話し相手はゲームとうさぎだけ。あたしうさぎを飼ってもいけないの? なんにもないのに……あなたが持ってるいろんなもの、あたしなんにも持ってない! ……あんたみたいな人、大っ嫌い」

 何度でも言うけれど、花井がなぜ朱里と別れたかというと、晶のことを好きになったからなんですよ。5話のこのシーンでも、朱里ははっきりと「京ちゃんは、あなたと付き合うから、だから別れてくれってあたしに言ったの」って、別れた理由を語ってた。晶は「朱里さえいなければ」と思ってるかもしれないけど、もとはといえば、晶という存在が、朱里と花井を別れさせてるんですよ。これ、絶対忘れないでね本当に。朱里が乗り移った女からのお願いです。

 あとこれも忘れないでほしいんだけど、花井は朱里と付き合っているとき、仕事で精神をやられてしまったらしい朱里に「仕事辞めてうちにくれば? 新しい仕事はゆっくり探せばいいし」的なことを言って、自分が買ったマンションに住まわせたんですよ。それなのに、「晶のこと好きになっちゃったから別れて!」「晶が嫌がってるから家出てって!」「早く仕事探して!」挙げ句の果てに、5話では「愛せなくてごめん」ですよ。

ちょっとタンマ、死にたくなるから一回落ち着こ?

 

 確かに晶は、会社ではパワハラにあい、同僚や部下の仕事を押し付けられ、長く付き合っている恋人はいるが結婚に踏み切れず、彼女は彼女なりにつらいことを数えきれないほど抱えてる。だけど、仕事があって、恋人がいて、愚痴を言える憩いの場があって、着たい洋服が着られて、自分の親はいなくても彼氏の親に気に入られている。

 社会的に見れば、朱里よりも晶のほうが圧倒的に恵まれているのは明白で、きっとなにも知らない人が見たら、ニートで元彼の家に住み着いてる朱里が悪いと思われるに決まってる。じゃあ朱里は、そんな自分の立場をわかっていない、ふてぶてしい女なのかというかと言えばそうじゃないはずで、自分が「なにも持ってない」ことを認めてる、すごく自分のことをわかってる女だと思うんです、むしろ。

 要するに朱里は、著しく“自己肯定感”が低い女なんですよ。晶は感情をストレートに伝えられる朱里のことを「うらやましい」なんて言ってたけど、自己肯定感の低い人間ってのは、自分より上にいると思っている相手からこういうことを言われるのが、この世で一番嫌なんですよ。自分が持ってないものをすべて持っている相手から「君の方が私より優れているよ」と言われたところで、「ご機嫌取りしてんじゃねーよ」と思われるのが関の山。自己肯定感が低い人間は、自分を自分で認められるようにならないと、人のことも認めることができないんです。朱里は花井と付き合っている間、自分を好いてくれる人のそばで、きっと自分のことも受け入れられていたはずなんですよ。それなのに今、その存在は自分が一番嫌いな、いや、自分が一番なりたい理想像のそばにいる。あまりにも残酷でしょう?

 

 今回5話を見て私は、朱里はまだ花井のことが好きなんだな、と思ってしまったんですわ。別れてから5年間、一緒に暮らしていたらもしかしたら花井の気持ちが自分に戻ってくるかもしれない、晶と別れて昔みたいに楽しく暮らせるかもしれない、また花井が自分のことを好きになってくれるかもしれない。「別の女を好きになったから別れてほしい」と言われて引き下がった朱里が、そのくらい願ってたっていいじゃないですか。

 でも、どんなに待ってもその時は来ず、「愛せなくてごめん」という言葉と、心の拠り所だったゲームとともに、朱里の希望は消えてしまった。「終わっちゃった」という一言に、そんなことを感じてしまった第5話、私は今死にそうです。

 

 “謎の女”として登場した朱里は、そのぶっ飛んだ言動から「もっとも共感できない登場人物」として、「こんなやついるのか?」と思わせる大きな異物として存在していた。だけど、朱里みたいに「自分はなにも持ってない」と思いながら生きている人間は本当は腐るほどいるはずで、私もその1人で、だから彼女が憑依してしまう。

 きっと誰もが誰かを羨んでいて、思い通りにならないことを人のせいにして、他人の人生より自分の人生がくすんで見える瞬間があるはず。一歩踏み外せば長門朱里になる可能性を秘めているのに、それを認めたくない。だって彼女はなにも持っていないから。そんな人間になるかもしれないなんて、考えたくないから。だけど私たちは、そろそろ認めなければならない。長門朱里はドラマの中の人物ではなく、自分のすぐそばにある“影”であることを。

 

 

 

 朱里ちゃんのことを考えると本当にずっと気持ちが沈んでしまうので、発散するためにここで花井の悪口を言いますね。花井“サンドバッグ”京谷。

・家出て行く時、「俺フラれるかもしれない」ってなんで言ったの? あんた、朱里ちゃんがまだ自分のこと好きだって思った上で言ってる? だったら一回殴らせて? 自覚なしに言ってたらIQ2ぐらいだから社会に出てこないで?

・「ウィークリーマンションに行く」っていったあと、すぐに晶に「家にいる?」ってメール送ったのなんで? 晶の家に行こうとしたんだったらマジでクズだから一回殴らせて? もしかして晶が断れないことわかって言ってた? お願いだから新しく買った目薬が思いの外「キーン!」とするやつで涙止まらなくなって?

 

 あとさあ、5話で一番腹が立ったとこ言っていい? 雨の中、花井の家の下で晶と花井がすれ違うシーンあるじゃん? あの演出なに? 「え〜ん! 切ないよ〜!」「初めてキスした時の雨とは正反対だよ〜!」とか言えばええんか? なあ?

すまんな、1ミリも思わんかったわそんなこと。2人ともビッチャビチャの靴下で家のフローリング濡らして絶望しろ。

 

 うすうす感じてたけど、私、けもなれの視聴者に向いてないな。

【テレビ】長門朱里が憑依してしんどい&花井京谷がクソすぎて無理「 #獣になれない私たち 」第2話

 見ましたか? 「けもなれ」2話。

www.ntv.co.jp

 忠誠心強めのオタクなので、1話からリアルタイムで見てますよ。だって昔から好きな松田龍平さんと、今私の中でもっともホットな田中圭さんが共演してるんですよ。これはもう、すなわち私のためのドラマ。日テレへの感謝を込めて、毎週水曜日は早めに帰ってますよ。

 そんな私が2話を見たあとにしてるTwitter、ちょっと見ていただいてもいいですか?

※発狂しすぎて誤字ってるこの臨場感よ

「花井はクソ」しか言ってねえな?????

 

 いや、前述のツイートにもありますけど、ワタクシすでに1話の時点で「なんか好きになれないキャラだな、花井」と思ってたんですよ。たまたま店に居合わせた呉羽さんの服装をdisってたじゃないですか、無意識に。それで「あ〜、こういう系ね……」みたいな、さっそく苦手意識がついてたんですけど、「とはいえ1話だから、まだわかんないから」つって、2話を楽しみにしてたんですよ。そしたらこの有様よ。花井はクソ。もう「京谷さんかっこいい♡」みたいなマインドは2話で完全に死んだ。

 そんでさ、「花井はクソ」って思いながらとりあえず寝て、起きたら「キスシーンにキュン!」「美しすぎるキスシーン!」「切ないラブストーリーに反響!」みたいなネットニュースがさあ………………

正気か!?!?!?!?!?!?!?!?

頭打ったんかお前ら!?!?!?!?!?!?!?!?

 どう考えても「花井京谷がクソすぎる! 田中圭の皮をかぶった悪魔!」「花井京谷ふざけんな! 賞味期限切れの牛乳飲んで腹を下せ!」みたいなネットニュースが出るべきだろ??? 「キスシーンにキュン!」とか正気かよ??? と思ってるんですよ。

 

 なんでこんなにクソクソ言ってんのか説明するとだな、花井っつうのは主人公・晶の彼氏なんですよ。でも、花井の家には元カノの朱里が、なんと別れてから4年間もずっと住み着いてるわけ。要するに、花井は彼女がいるのに、元カノと一緒に住んでんの。もうこの時点でクソヤバ男じゃん? でもまあ、これには理由があるだろうと、まだ花井には同情の余地があるはずだと、1話を見た私はそう思ってたんですよ。

 ところが2話、晶と花井の馴れ初めが明かされるんですわ。これがクソ&クソ。2人はもともと同じ会社で働いてて、晶は派遣社員、花井は社員として働いてた。晶はこの時から仕事ができる人で、花井はそんな晶を頼りにしてて、そして2人はいつしかお互いの彼氏・彼女の愚痴を言い合うような関係になるのよ。

 仕事終わって2人で飲みながら、「私の彼氏、またバイトやめちゃって……」とか、「俺の彼女も仕事探さなくてさ……」とかそういう会話をすんの。仕事ができる晶と花井は、それぞれ働かない彼氏・彼女がいるらしいのよ。「仕事が息抜きだよ」とか言っちゃってさあ。まあまあ、あるよ。100%彼氏・彼女が好きってこともないだろうし、仕事で信頼してる人に愚痴をこぼすこともあるだろうよ。でももう、だんだん「あ、こいつら仕事上の関係だけじゃないな」みたいな雰囲気が漂ってくるのよ。

 そんなこんなしてるうちに、晶の契約が終了。「次は正社員で働くことになりました」つって旅立っていくんだけど、晶の送別会で花井がついに動く。1人で帰ろうとする晶を花井が引き止めんのよ、「さっき全然しゃべれなかったから」とか言って。そんで2人はカフェに行って、「子供のころなになりたかった?」とかたわいもない会話をすんのよ。は〜、いいカップルだね〜と思うじゃん? でも多分、2人ともこの時、彼氏・彼女がいんのよ。わざとらしく時計をチラチラ見てさ、店員に「すみません、もう閉店なんで」って声かけられるまで店にいたわけ。で、外に出て雨が降ってきて、「電車で帰ろうかな」「送ってくよ」みたいな会話してたら、なんかアレな雰囲気になってきて、花井から晶にキスして、そんで2人で雨の中傘もささずにどこかに走って消えて行く……。

はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜………………(クソデカため息)

  まあね、あるよ。お互い彼氏・彼女に不満があるときに、信頼できる人に出会っちゃったんだもん、絶対好きにならないとは言えないよ。実際めちゃくちゃリアルな話だと思う。でもね、なんで私がこんなに花井をクソクソ言ってんのかというと、朱里が置かれてる立場が、陰キャの女から見ててツラすぎるからなのよ。

 

  そもそも朱里はなんでずっと花井の家に住み着いてんのかというと、「花井がいいって言ったから」なんですよ。くわしいことは2話だとまだわかんないけど、朱里はなにやら花井と同じ会社で働いてたんだけど、精神的にアカン状態になったみたいなのよ。でも、仕事を辞めたらお金もないし、家賃すら払えない。そんな時、花井に「仕事辞めて俺の家にきたら? 仕事はゆっくり探せばいいし」てなことを言われて、彼の家に住むことになったらしいのよ。これだけ聞けば普通に優しい彼氏だし、普通に花井いいやつなんだけど、騙されちゃいけないのは、家に彼女(しかも精神的にアレな状態)がいながら、いい感じになった女(晶)と飲みに行って、ほろ酔いで帰ってきたらどう思う、っていう。しかも送別会の日、お前らどうせ朝帰ったんだろ?

 まあ、普通に浮気じゃないっすか、コレ。不倫・浮気に厳しいこのご時世、私も例に漏れず「う〜ん……」みたいな、スッキリしない気持ちなのよ、この展開は。で、さらになにがいやかって、朱里から見て彼氏を取った女が、「仕事ができて、彼氏が頼りにしてる女」ってのが、コンプレックスメッタ刺しすぎて、本当に最悪なんですよ。朱里はなにか理由があって仕事がうまくいかなくて、精神的に参ってしまった。そんな朱里を花井は助けたんだけど、結局花井は仕事をしない朱里の愚痴を言い、仕事ができる女に惚れてしまったと。

 朱里と花井は“合意の上で”別れたという感じだったけど、とはいえ朱里の立場を考えると、ちょっとキツすぎませんかね、これ? 「家に来い(=仕事やめろ)なんて言わなきゃよかったのに」みたいなことを2話で朱里が言うんだけど、それに対して花井はさ、「仕事やめろって言ったのは、あの時お前がツラそうだったから……」とか言うわけ。この時私はね、花井にキレましたね。なんで朱里が悪いみたいな論調で語るんだよ、と。「俺はお前に優しくしてやったのに、お前はその優しさに甘えてるだけだろ」とでも言いたそうな、花井のクソっぷり。ここに1ミリたりとも優しさなんて感じませんでしたけどね、私は。

 結局花井は自分がかわいい。自分を守るために、自分の満足のために“甘やかしてる”んですよ。朱里を住まわせてるって晶に明かした時、「尊敬する」って言われて喜んだんだろ? 自分が蒔いたタネにも関わらず、「朱里さえいなければ晶とうまくいってる」とか思ってるんだろ? そんな男にしか見えなくて、花井を好きになれる要素がこの瞬間全部消えました(ただし、顔はめっちゃ好き)。

 

 もちろん、4年間も元カレの家に居座れる朱里の精神もだいぶヤバイと思うし、いい加減仕事見つけて出てってくれよと思うし、ゲームばっかりしてる姿を見てるとイライラはする。だけど、花井母から「あの子とは気が合わない」と言われ、仕事もうまくいかず、自分を救ってくれたはずの彼氏には浮気され、挙句の果てに家から出ていけと言われる。今や朱里の味方は誰もいないんですよ。そりゃおかしくなるよなと、2話を見て完全に朱里の味方になってしまったんですよね。私、こういう不幸な女がドラマに出てくると、自然と自分に憑依してしまうんですよ、陰キャなんで。「一目惚れはしない」と言いつつ、なんだかんだ次から次へと男を乗り換えるような陽キャな晶にも、晶を選んだ花井にも、朱里や私みたいな陰キャの気持ちなんてわかんないんすよ。悲しいっすね。悲しいっすよ、私は。

 

 ここまで4000字近く使って「けもなれのキャラクターはどれほどクソか」を語ったあとに言うのもなんですけど、2話目ですでに4000字も語れるほど感情を揺さぶられ、キャラクターに同情するほど物語に入り込んでしまう、よくできたドラマだってことですからね。めちゃくちゃ褒めてますからね!?!?!?

 1話完結・問題が絶対解決するシンプルなドラマが好まれる傾向にありますけど、私はやっぱり「けもなれ」みたいな、悶々とキャラクターの背景を考察し、今後の展開をああでもない、こうでもないと考えてしまう、余白と奥行きのある作品が好きなんですよね。だから朱里が憑依してしんどくても、「花井はクソ」とツイートしながら、3話以降もちゃんとリアルタイムで見るよってことです。

 見逃した方は「けもなれ」公式サイトから動画配信サイトに飛ぶか、「TVer」でも見られるので、ぜひ見てください。そして陰キャのみなさまは、私と一緒に花井を呪いましょう。

 

 

 

追伸

 ここまで私が花井を嫌いになれるのは、すべて田中圭さんの演技力のすばらしさゆえですので!!!!!!!!!!! 田中さんのオタクのみなさん、怒らないでね!!!!!!!!!!!!!!!!