冗談は顔だけのつもりだ

そうさ100%現実

【ドラマ】嗚呼、素晴らしきブロマンスの世界『まほろシリーズ』『SHAERLOCK』

 残念ながら私は中学二年生から腐女子をやっている。人生の半分を掛け算だけで過ごしてきた。

 きっかけは簡単で、友人から見せられた一枚の絵だった。青年二人がベンチに座り、顔の前に掲げた本の向こうでキスをしている絵だ。その絵を見せられてすんなり受け入れたあのころの自分は一体どうしちゃってたのかはもう思い出せないが、その絵と、純粋無垢だった私を掛け算しか愛せない体にした女二人の嬉しそうな顔ははっきりと覚えている。

 今だから言おう。その節は本当にありがとうございました。

 それから転げ落ちるのに時間はかからなかった。というか、止めてくれるものが何もなかったから転がり落ちるしか方法はない。小学生のころはレディースコミックを愛読書とし、放課後に友達と本屋に立読みをしに行くような純粋無垢だった少女が男同士のセックスを見て人生の幸せを感じているのだ。BLとは実に罪深い。

 昔から私は『男性同士の精神的繋がり』にあまり興味は無く、BL漫画や二次創作を見るときも『ヤッてるかそうじゃないか』だけで作品を選んでいた。単純明快で欲望に忠実だと我ながら思う。

 なぜ精神的繋がりに興味がないかというと、そもそも恋愛モノに興味がないからだ。人様の惚れた腫れたに興味がない。(現実で恋愛相談を持ち掛けられることがたまにあるが、そういう時は大体「新刊のネタにしよう」と思って聞いているから苦痛ではないが。)ましてや男性が「俺……あいつのこと……(ウジウジ)」みたいな状況は、はっきり言ってイライラする。いいから早くセックスしろと思いながら、ベッドシーンまでページをめくるのが私の読書スタイルであった。

 

 そんな時代を経てきたわけだが、最近の私はホモセックスにあまり興味が無い。

 興味が薄れてきたことを感じたのは去年、ある同人誌の原稿を書いていたときだ。その前に出した本はセックスシーンが多く、書いているときは非常に楽しかったし正直なところまあまあ売れた。綺麗なお姉さんがスペースに来てくださり「私、モブレイプ大好きなんです」とキラキラとした瞳でまっすぐに私を見つめて言い放ったこともいい思い出だ。

 だが、その次の原稿のネタを考えているとき、正確には前作の原稿中に「もうホモセックスは書きたくない……」と思ってしまったのだ。

 単純に、セックスシーンを書くのに疲れてしまったという理由もある。が、ちょうどそのころは以前この記事(【映画】わたしをホモ鬱にした映画を紹介します。)に書いたようなことを永遠と考えている時期でもあった。それからだ、簡単に男二人をまぐわらせることに抵抗を感じたのは。

 

 自分のことばかり書いていてもしょうがないのでもうやめるが、まあこんな経緯があってブロマンスという関係性に萌えを見出した、ということである。

 そもそもブロマンスとは、肉体的な関係を持たない男性同士の近しい関係性のことだ。『ボーイズラブ』が男同士の肉欲を伴った恋愛を表現する言葉なら、『ブロマンス』は精神的な繋がりのみで成立する男性同士の友情とも愛情ともつかない関係性のことだ。

 

 具体的な例を挙げていこうと思う。

 まず、三浦しをん原作小説で映画・ドラマと映像化もされた、まほろ駅前多田便利軒を筆頭とした『まほろ駅前シリーズ』の多田と行天の関係性だ。

「ホモっぽいけどこいつら絶対セックスしないな……」という関係性でありながら非常に萌えることができた、私にブロマンスの素晴らしさを提示してくれた作品である。

 彼らは学生時代の同級生であったが当時は一言も話さず、友達と言えるような関係ですらなかった。が、お互い歳を重ねたある時多田のもとに行天が姿を現す。そして行天は「一晩泊めて」と多田に持ちかける。そこから物語が始まっていくのだが、多田と行天は常に行動を共にする。ついでに言えば、一晩では終わらずそのあともずっと行天は多田の事務所兼自宅に居座り続けるのだ。これだけの条件が揃えば「こいつら一回くらいヤッてないとおかしい」と思うのが我ら腐女子である。私だって、そう思ったことが無いと言ったら嘘になる。が、彼らは完全プラトニックであったほうが萌える。これは断言する。

 ドラマではあまり描かれなかったが、多田にも行天にもそこそこ暗い過去があり、今でもどこかにそれを引きずって生きている。なし崩しに付き合いが長くなっていく中で、お互いのほの暗い闇が徐々に透けて見えてしまう。相手の苦しみを知り、傷を舐めあうように自然とお互いの精神の距離が縮まっていく。

 私としては、もうこれで十分なのだ。恋愛感情を抱かなくとも、お互いを一番に思いやり、強い精神の繋がりで結ばれていった二人が笑いあったり時に衝突したりしながら、さらに強い繋がりを作っていく様子が見られればそれで満足なのだ。プラトニックな関係を完璧に仕上げた二人には、セックスは関係を壊す邪魔者でしかない。

 

 これに似た関係性が海外にもある。ご存知『SHERLOCK』である。ここからは得意気にSHAERLOCKの話をするが、シーズン3を見終わったのはつい最近のことであるので「にわか!」と罵られることも覚悟の上だ。

 シャーロックとジョンの出会いはなかなか衝撃的だし、ひとつ屋根の下で暮らし始めることも少し強引な感じはあったが、そこは国内と海外の違いかなと納得させれば気にならない。私立探偵であるシャーロックの助手となったジョンはしばしばシャーロックの破天荒で常識知らずな振舞いに頭を抱えることになる。しかし、ジョンはシャーロックといることで起こる数々の事件の捜査に携わることで、自分の過去の記憶を癒そうとする。そしてシャーロックもまた、変人奇人扱いされてきた人生の中で初めてできた『親友』との関係を通して、ゆっくりと人の心を持ち始めるのだ。

 先ほども書いたように、この二人にとってもセックスは関係を壊す邪魔者になる。恋愛における愛情表現が無くとも、相手を強く思い必要としていることがお互いに伝わり、精神的な繋がりが確立されているからだ。

 

 また、ブロマンス作品で重要なのは女性の登場人物である。BL作品との大きな違いはここにある。セオリー的に言えばBLの世界で女性というのはあってないような者、もしくはゲイを恐ろしいほどに理解しているキューピットであるか、その逆のとんでもない噛ませ犬キャラである場合が多い。

 SHERLOCKの場合、女性登場人物は個々の存在をしっかりと保ちながらもシャーロックとジョンの関係性を深める手伝いもしてくれる、超重要キャラクターである。もちろん、登場する女性キャラクターに恋心を抱くシャーロックとジョンの姿も描かれる。さらに、ジョンに至っては結婚までする。

 同じようにまほろシリーズでも女性の登場人物はとても重要で、映像の場面ではむさくるしい男二人の世界に華を添える役割もしてくれる。そして、多田が恋をした女性は最終的に多田を過去のトラウマから救い出し、行天を自立させていくきっかけを作る。多田と行天の関係性を深める役割を果たすだけでなく、物語をハッピーエンドに終わらせる役割まで担うヒロインなのだ。

 こういった女性登場人物との描写が無ければ、ブロマンスの良さは半減すると私は思う。『友情』が前提の関係性であるからこそ良いのだ。本能の部分である『愛情』は女性に向けたものだということがはっきりしないと、ブロマンスは中途半端なBLになってしまう。恋する女性と、心を通わせた友人に対する『愛情』は別のものだが、比べることが出来ないほど両者を大切に想っている。そういう図式に萌えるのだ。

 

 このような関係性と取れる登場人物が出てくる作品は他にもたくさんある。それほど、ブロマンスの世界は現実にごろごろと転がっているということだろう。そして、私のようにブロマンスにの魅力にハマる腐女子が多いということも最近知った。ぜひこの調子でブロマンス作品が増えていってほしいと願う。

 あと、「私ホモ好きなんだよね~」って言うよりも「私(わたくし)、ブロマンスが好きなんです」って言った方が同じ腐女子でもなんかかっこいいし博識っぽいので、軽率にブロマンスの世界に足を踏み入れてみるといいと思います。